もう終わりだね、さよなら、さよなら🚈

ありがとう加越しらさぎ

ありがとう雷鳥サンダバ

全体

この4つの中で、一番思い入れがあるのが加越。

加越の前身は、急行くずりゅう。

川崎~福井の往復の時に、米原接続でどんだけ乗ったか。

あの56豪雪でも、米原まで運んでくれて、東京受験に間に合わせてくれた。

悲しい時も嬉しい時もいつも一緒に運んでくれた。

もう逢えないかもしれない・・・。

本当ありがとう!自分が産まれた次の年くらいに、金沢まで複線電化してディーゼル特急白鳥は別にしてその時に誕生したのが雷鳥しらさぎ

物心ついた頃は全部これら。だから、自分の人生そのものでした。

あわら湯のまち駅掲示でした。

ボンネット雷鳥

これが、北陸線で見た最後のボンネット型臨時雷鳥。交直流のひげがヘッドライトの上に書き込まれています。芦原温泉駅も4番ホームは新幹線の建物の下ですし、もうこんな姿はしていません。この雷鳥に乗って大阪万博も、小学生の頃に大阪の叔母も兄弟だけで訪ねたし、新婚旅行も雷鳥グリーン車だった。

名古屋行き加越

米原駅で撮影できたシーン。間違い表示だと思います。乗客が乗っているし、これはしらさぎです。

加越が活躍した頃に681系はありませんでしたし、加越そのものが米原~金沢が主でしたので、名古屋行きなんて妄想の世界でしか存在しません。貴重な映像です。