しらさぎ65号金沢行き最終ラスト
酷い風邪をひいているんですが、やっぱり旧加越のしらさぎ65号の最後は見送ってやりたい。これをもって、北陸から能登かがり火以外のJRの在来線の特急は終了です。
鉄橋のそばに立って、いつも場所で動画を撮りました。
旅立って行きました。
56豪雪の中、限られた本数しか走らなかった特急加越で上京。
大学進学後も加越には幾度もお世話になりました。
ところが、しらさぎを待っていたら、683系の上りの回送電車が来て驚いた。
何か後ろから轟音が聞こえたと思ったら、スマホの操作が間に合わなかった。
福井駅の様子もライブで中継していました。
通常ではあり得ない沢山のお見送りで一杯でした。
JRからハピラインふくいに引き継ぎのセレモニーもあり、時代が大きく変わります。
ブルーインパルス予行飛行
実際の12時40分頃に飛んで来ると待っていたら、来なかった。
15時半にやって来た。
かなり高い上空を飛んでいたので、これが精一杯です。
右端の1機🛫だけ編隊の形を崩しています。
ありがとう✋サンダーバード
バッチリ📸全体が写り込みました。もう明日からはこの光景は見られません。
サンダーバードのラストランです。
能生騒動 OH!NO
1961年10月1日のダイヤ改正で大阪駅 - 青森駅・上野駅間に特急「白鳥」が設定された際[8]、当時の北陸本線は単線だったため、当駅で上りが運転停車を行い、下りと列車交換を行うダイヤが組まれていた。しかし、金沢鉄道管理局が作成した当駅掲出の時刻表には誤って上り「白鳥」の停車時刻が記載され、また一部の市販時刻表にも時刻が掲載された。金沢鉄道管理局は、本社や中部支社から「客扱いをしない」旨の指示が届かなかったことから客扱いをするものとしていたが、本社や中部支社は「準急さえ止まらぬ駅で特急の客扱いをしないことは当然」という認識であったという。
地元では、特急停車を祝賀するつもりで「ミス能生」まで選出し、花束などを用意して「白鳥」を迎えることになった。ダイヤ改正当日の14時34分、当駅に停車した「白鳥」を地元の婦人会が浴衣姿で踊って出迎え、乗務員に花束まで渡した。しかし、前述の通り運転停車であるため、ドアが開かぬまま「白鳥」は発車し、特急が停車して客扱いをするものと思っていた関係者らは落胆した。これを俗に「能生騒動」と呼ぶ。一方で「白鳥」の車内においても、上野方面から乗車した男性客2人が当駅で下車しようとしていたが、青森方面からの列車と併結する直江津駅において車掌から「能生駅では下車できません」と告げられ、直江津駅での下車を余儀なくされた。